吉宮気功体操協會トップページ気功コラム集青山 圭秀
今、気になる症状
人類の痛みと、科学の展開
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 痛みから解放されたい。それは太古の昔からの人類の主要な願望の一つであり、今
も、そして今後もそうであり続けるだろう。
 そんななか、19世紀中盤における吸入麻酔薬の発見は、画期的な出来事だった。
それにより、開腹だろうが開頭だろうが、ほとんど自由自在に人体を切り刻み、手術
を行なうことが可能となった。よかったかどうかは別として、現代医学が飛躍的に発
展したことは事実である。

 一方で、中国のハリ麻酔が突如として西側世界で脚光を浴びたのは、1970年代
のことだった。おりしも日本は、日中国交回復に沸いた時期と重なり、ブームを引き
起こした。
 実際、ハリ麻酔を最初に見た医師は、さぞ驚いたことだろう。ハリを打っただけな
のに、患者は抜歯したり体の一部を切られたりして痛がらないのである。
 ところが、それから遅れること十数年、気功麻酔の登場により、われわれはさらに
驚愕させられることとなる。

 思えば、ハリ麻酔のときはまだよかったのだ。なんといっても、ハリという物体が
体に触れていたのだから。それが気功麻酔となると、何も触れていない。数メートル
も離れたところから実体としては何だか分からない“気”というものを送り、患者は
喉を切り裂かれて痛がらない。それどころか、にこやかに会話までしているのだ。
 当然のことのように、この“気”に対し、一部には「まがいものだ!」との批判が
沸き起こった。「科学的なメカニズムが分からない」というのが、彼らの主な論拠で
あった。

 しかし申し訳ないが、メカニズムが分からないということなら吸入麻酔も同じなの
だ。われわれは実に、吸入麻酔薬を吸い込むとなぜ意識が失われ、痛みを感じなくな
るのか、その理由を知らない。さまざまな仮説はあっても、確かなことは分からない
のだ。それでも日々、世界中で何万人という患者たちがこれに自らの命を委ね、一向
に怪しむことをしない。それは医師たちが、どの程度の気体をどのくらいの体重の人
に吸わせれば、どれくらいの麻酔がかかるだろうということを、経験的に知っている
からに他ならない。

 経験的な知識だから、当然、事故も起こり得る。ただ、吸入麻酔が便利なのは、ほ
ぼ画一的に効いてくれる点なのだ。技術の習得が困難で、かかり方も一様でないハリ
麻酔や気功麻酔よりも、要するに手軽である。両者の違いは、科学的・非科学的とい
うことでは決してない。
 ハリであれ気功であれ、ヨーガであれアーユルヴェーダであれ、現実に起こってい
ることは科学の対象である。それが、実際に人類に恩恵を及ぼすものならなおさら
だ。

 多少異なる点があるとすれば、一般の科学者が世界を主として物質面から科学する
のに対し、われわれは、より精神的で非物質的な側面から探究する点だ。吉宮氏のよ
うな人はそれを実践的に行ない、私のような人間は主に理論面から試みる。そうし
て、存在の表層と深層のどちらから入っていったとしても、これらより広い意味の
「科学」が目指すものは同一であり、最終的に行き着く先もまた同じであるに違いな
いと、私は思う。

青山圭秀(あおやま まさひで)
東洋伝承医学研究所・副所長。
平成5年、自らのインド紀行を『理性のゆらぎ』(三五館)に発表。翌6年『アガスティアの葉』、『真実のサイババ』(三五館)は、ベストセラーになり、日本での“サイババブーム”の火付け役となる。

 平成7年に渡米.UCLAに在籍し、研究・教育活動を行う間、遠藤周作との二度の対談『深い河を探る』(文芸春秋社)、今野由梨氏との対談『外在化する脳』(日本文化デザインフォーラム)、朝日新聞のオピニオン誌・論座の連載『青山圭秀のパラダイム探検』などを発表。
 平成9年『理性のゆらぎ』文庫版(幻冬舎)、東洋伝承医学を現代科学の視点から探る『大いなる生命学』、同10年インドの伝統と因習に生きる民衆を捉えた『愛と復讐の大地』(ともに三五館)を発表し、他にも国内外での雑誌、学術論文、講演、テレビ出演などで紹介されている。。